
いつもの朝。
彼女が急いだ様子で、パンプスに足を入れている。僕は玄関先でそれをぼんやりとした表情で見ていた。
靴がきちんと彼女の足に収まったのを見ると、今がベストタイミングとばかりに、挨拶をする。
「いってらっしゃい、気を付けてな」
「行ってきますっ! そっちも遅刻せずに行きなさいよー」
そう言って、僕の彼女は仕事用の鞄を肩にかけると、慌てて部屋を出て行った。
急いで整えられた髪の毛を見ながら、いつもどうしてもっと余裕をもって行動しないのかと疑問に思う。
彼女と僕は、同棲1年目。
お互い社会人になった時、家賃諸々の事を考え、同棲した方がいいと判断して今に至る。
ちなみに僕は彼女よりも職場が近いから、もう少しゆっくりできるのだ。
大きなあくびを一つすると、僕はしばらく玄関先に立っていた。
何故すぐに部屋に戻らないかと言うと……、
ガチャッ
「忘れ物した――――っ!」
「何? 定期券? 財布?」
「定期券っ! 昨日出かけた際にバック変えたから、そのままになってるの! お願いっ! すぐにとってきて!」
「もう……、仕方ないなあ……」
そう、これ。
僕の彼女は忘れっぽい。
毎日のように慌てて準備をしては、何かを忘れた事に気づいて、すぐに家へとUターン。
何度も前日から用意しておくように言っているのに、全く収まる気配がない。
本人は前日から用意してるって頑なに言ってるけど、忘れている時点で準備出来てないだろって思う。
僕はため息をつきながら、少し急ぎ足で彼女の部屋に向かうと、昨日使っていたと思われるバックの中を漁った。
あった、これだ。
「はい、定期券。だからいつも準備は前日に……」
「ありがとうっ! 行って来るね!」
「(全く聞く気ないな)……いってらっしゃい。慌ててこけるなよ」
「大丈夫だってー!」
音を立ててドアが閉まる。
しかし3分後、
ガチャン。
「忘れてた――――っ!」
「今度は何⁉」
「仕事の資料っ! 君が見ても分かんないと思うから、私が取って来る!」
ドタドタドタ。
彼女は慌てて靴を脱ぎ捨てると、自分の部屋に入って行った。
僕の定期券を取りに行った労力は一体何だったのか……。
目の前で変な方向を向いて倒れているパンプス君たちを見ると、扱いの雑さに可哀想になってくる。
しばらくすると、彼女が茶色の封筒を手にして部屋を出て来た。廊下を歩きながら、封筒をギューギューと無遠慮に鞄に詰め込んでいる。
仕事の資料……、大丈夫だろうか?
そんな僕の思いも知らず、彼女は色んな方向を向いているパンプスの向きを足で行儀悪く整え、履くと再びこちらに向き直った。
「んじゃ、今度こそ行ってくるね!」
「大丈夫か? もう忘れ物ないな!」
「大丈夫っ! 今日は仕事で遅くなるから、先にご飯食べて寝ててね。帰りは多分、日付変わるから」
「それは前から聞いてるから大丈夫。早くいかないと、本当に遅刻するぞ」
「いってきまーす!」
彼女は慌てて僕に手を振ると、再び家を出て行った。
さすがに、もう忘れ物はないだ……
ガチャッ。
「忘れてた――――っ‼」
さすがに3回は酷すぎる。
僕は怒りに任せて、強めに文句を口にした。
「何だよっ、今度は‼ 今日は酷すぎ……」
「はい、これプレゼント」
……え?
僕は吐きだそうとした言葉の続きを飲み込んだ。
彼女は鞄の中からラッピングされた箱を取り出すと、僕の手に押し付けるように渡してくる。
「私、今日中に家に帰ってこれないと思うから、プレゼントだけでも。今渡さないと、誕生日じゃなくなるしね」
……誕生日?
言われて初めて、今日が僕の誕生日だという事に気づいた。
自分でもすっかり忘れていたのに、彼女はきちんと覚えていてくれて、プレゼントまで用意してくれていたらしい。
「お誕生日おめでとう! 今度ゆっくりお祝いしよっ?」
彼女はまだプレゼントを貰って唖然としている僕を抱きしめると、ぎゅーと力を込めた。そして僕から身体を離すと、手を振って家を出て行った。
この場に残ったのは、プレゼントを片手に呆然としている僕の姿だけ。
2,3分ぐらい立っていたけど、彼女は戻ってこなかった。どうやら、もう今日の忘れ物は終了したらしい。
いつもなら、彼女の忘れ物の多さに怒りや呆れを感じるけど、今日は別の感情が沸き上がっている。
「だから前日にちゃんと準備しとけって言ってるのに……。ありがとうを言う時間くらいくれよ、全く……」
でもまあ……、たまにはこういう忘れ物も悪くないかもしれない。
<完>